まえの おはなしで「姉川の 戦い」に 勝った 織田信長(小栗旬)。まけた 浅井長政と 朝倉義景は、にげて 比叡山の おてら(延暦寺)に かくれました。
比叡山は いまの 滋賀県と 京都府の さかいに ある たかい やま。1200ねんも まえから つづく、にほんで いちばん たいせつな おてらの ひとつだよ。
🎨 やきうちの ようすの イメージず
🏯 いまの 比叡山延暦寺の 根本中堂(やきうちの あと、豊臣秀吉や 徳川家康が さいけんした)
🗺️ 比叡山の ばしょ(滋賀県と 京都府の さかい)
信長は おてらに「てきを おいだして、戦いに 関わらないで ほしい」と おねがい しました。でも おてらは、長政と 義景を まもりつづけたんだ。
おこった 信長は、けらいの 明智光秀(要潤)に「おてらを やきはらえ!」と めいれい します。藤吉郎(池松壮亮)と 小一郎(仲野太賀)の きょうだいは、どんな きもちで これを みるのかな?
⭐ なぜ、おてらが やきはらわれたの?
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おてらが、信長の てきを かくまった から。ほんらい、おてらは 戦いに 関わらない ばしょの はずだった けど、比叡山は「どちらの みかたでも ない」と いいながら、じつは てきを たすけて いたんだ
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むかしの おてらは、いまと ちがって つよい 力を もって いた。ぶきを もった「僧兵」という おぼうさんの 軍隊まで あったんだよ。信長は、この 力を おそれて いたんだ
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比叡山の やきうちは 1571ねんに おきた、にほんの れきしで とても ゆうめいな できごと。信長が「てんかとういつ」を めざす うえで、とても おおきな けつだん だったんだ