織田信長は美濃(現・岐阜県)の斎藤龍興を攻略するため、長良川西岸の墨俣(現・岐阜県大垣市)に前線基地(砦)の建設を命じました。しかし敵陣のすぐ近くという過酷な条件のため、佐久間信盛ら複数の武将が築城に失敗していました。
この難題に名乗りを上げたのが木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)。弟の小一郎(のちの豊臣秀長)とともに、画期的な作戦を立案・実行しました。
その作戦とは、①木曽川上流であらかじめ木材を加工し、「組み立て式」の部材を準備(現代のプレハブ工法に近い発想)、②川を利用して部材を墨俣まで輸送(水運による兵站の効率化)、③蜂須賀小六ら地元の川並衆(川の流通を支配する集団)と連携、④一夜にして砦を築き上げるというものでした。
この成功は軍事的な前線基地の確保にとどまらず、「不可能と思われたことをやり遂げた」という心理的効果が絶大でした。敵方の士気は大きく低下し、味方の信長からの信頼は飛躍的に高まります。この功績により、藤吉郎は信長の直参の武将へと出世する足がかりをつかみました。