先週放送の第17回「小谷落城」では、信長の妹お市と3姉妹(茶々・初・江)が救出され、浅井家が滅亡した。羽柴(豊臣)秀吉は今回の戦いで大きな戦功を挙げ、旧浅井領(近江国北部・約12万石)を与えられて初めての「城持ち大名」となった。これは秀吉の「天下取りの始まり」とされる重要な転機である。
そして秀吉はこの時、名字を「木下」から「羽柴」へ改めた。「羽柴」は織田家の重臣丹羽長秀の「羽」と柴田勝家の「柴」を一字ずつ拝借した名字で、出典は江戸時代の歴史書『豊鑑(ほうかん)』。農家の出身で異例の速度で出世した秀吉が、先輩武将からの嫉妬を和らげる「謙譲の演出」と読み解かれている(小和田哲男ら)。
🎨 「羽柴」改姓の由来図(『豊鑑』『甫庵太閤記』に基づく)
1573年(元亀4年→7月に天正元年へ改元)は中世から近世への転換点として中学入試で頻出。同年に起きた重要事件は──①信長による足利義昭の京都追放(室町幕府の事実上の滅亡)、②朝倉義景の自害(朝倉家滅亡)、③浅井長政の自害(浅井家滅亡)、④秀吉の長浜城築城・羽柴改姓。たった1年で戦国大名の旧体制が崩壊し、信長による天下統一が加速した画期である。
なお、秀吉は終生「羽柴」の名字を使い続けた。後年(1586年)に朝廷から下賜される「豊臣」は「氏(うじ)」という別の体系であり、両者は重複しない。「源頼朝=源氏」「徳川家康=徳川氏」の名字(家名)と、「源(みなもと)の朝臣」「徳川(朝臣)」の氏(朝廷との関係を示す姓)は中世日本の独特な二重制度。秀吉の場合、名字は「羽柴」、氏は「豊臣」と整理できる。