大河ドラマ「ジョン万」連動シリーズ
中浜万次郎(ジョン万次郎)出世絵巻
土佐の漁師の子から、海をこえて世界を見た冒険者へ。漂流・渡米・帰国をへて、日本に英語と世界を伝えた中浜万次郎(ジョン万次郎)の一生を、七つの場面でたどります。各場面に「行ってみよう」スポット付き。地図のマスをタップすると、その場面へジャンプします。
スクールコンパス編集部オリジナル・イラスト(実際の肖像ではありません)
▼ 万次郎の冒険のものさし(タップで各場面へ)
はじめに ── ジョン万次郎って、だれ?
社会の教科書では、ジョン万次郎のあつかいはとても小さいです。でも実は、キミが今ならっている「英語」や、日本とアメリカの友好の始まりに、この人が深くかかわっています。
14さいで海をただよい、無人島で143日間を生きのびる。そこからアメリカへわたった、日本人で初めての一人です。
日本に「英語」を教えた先生の先がけ。今の英語の授業のルーツの一つです。
日本が初めて公式にアメリカへわたった船「咸臨丸」で、通訳と航海を支えました。
漁師の子が、どうやって世界を見て、日本の宝になったのでしょう? 七つの場面でたどってみましょう。
文政10年
土佐(今の高知県土佐清水市中浜)の、まずしい漁師の家に次男として生まれた万次郎。9さいでお父さんを亡くし、幼いころから家族のために働きました。学校に通えず、字も読めませんでしたが、体がじょうぶで、好奇心のかたまりのような子だったといいます。
写真:Googleマップ実写真:中浜(万次郎生誕の地)(公開版はGoogleプレイス取得の実写真)
- 所在地
- 高知県土佐清水市中浜
- 見どころ
- 万次郎が生まれ育った漁村。世界へ飛び出す物語の出発点
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
天保12年・14さい
14さいのとき、漁のとちゅうで大あらしにあい、なかまと太平洋をただよいます。流れついたのは、火も十分な食べものもない無人島「鳥島」。海鳥をとって、なんと143日間も生きのびました。そこへ通りかかったのがアメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」。万次郎たちは救い出されました。
船の名前「ジョン・ハウランド」にちなんで、船の人たちは万次郎を親しみをこめて「ジョン・マン(John Mung)」と呼びました。これが「ジョン万次郎」の由来です。
写真:Googleマップ実写真:足摺岬の万次郎像(太平洋を望む)(公開版はGoogleプレイス取得の実写真)
- 所在地
- 高知県土佐清水市足摺岬
- 見どころ
- 太平洋を見つめて立つ万次郎の銅像。灯台もすぐ近く
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
10代
なかまはハワイに残り、万次郎だけが船長ホイットフィールドとアメリカ本土へ。マサチューセッツ州フェアヘブンで学校に通い、英語・数学・測量・航海術を学びました。日本人として初めてアメリカ本土できちんと教育を受けた一人です。成績もよく、やがて捕鯨船の船乗りや金ほりで働き、帰国のためのお金をためました。
アメリカでどう過ごした?
船長ホイットフィールドの家族にむかえられ、学校で英語・数学・測量・航海術をまじめに学びました。ことばもわからないところから、めきめき力をつけていきます。
写真:Googleマップ実写真:ホイットフィールド・万次郎友好記念館(公開版はGoogleプレイス取得の実写真)
- 所在地
- アメリカ・マサチューセッツ州フェアヘブン
- 見どころ
- 万次郎が暮らし学んだ町。船長の家が記念館になっている
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
嘉永4年
鎖国の日本へ帰るのは命がけでした。国を出た者が戻ると、罰せられることもあったからです。それでも「日本へ帰りたい」と、自分たちで小さな船を買い、琉球(今の沖縄)にじょうりく。薩摩(鹿児島)・長崎で長い取り調べを受け、1852年、11年ぶりにふるさと土佐の土をふみました。
鎖国の日本では、国を出た者が帰ると重い罰を受けることもありました。それでも「日本に世界のことを伝えたい」と、危険を覚悟で帰ってきたのです。
写真:Googleマップ実写真:ジョン万次郎上陸の地(糸満市大度)(公開版はGoogleプレイス取得の実写真)
- 所在地
- 沖縄県糸満市大度
- 見どころ
- 万次郎たちが帰国のためにじょうりくした海岸。記念碑が立つ
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
嘉永5年
世界を見てきた万次郎の知識は、日本にとって宝物でした。身分のきびしいこの時代に、漁師の子でありながら土佐藩の武士に取り立てられ、ふるさとの地名から「中浜」の名字をゆるされました。藩の学校で英語や航海術を教え、その教えは坂本龍馬や岩崎弥太郎ら、のちに日本を動かす若者にも伝わりました。
漁師の子から、刀をさす武士へ。生まれや身分ではなく、学びと経験で道をひらいた、この絵巻のいちばん高いところです。
写真:Googleマップ実写真:高知城(土佐藩の中心)(公開版はGoogleプレイス取得の実写真)
- 所在地
- 高知県高知市丸ノ内
- 見どころ
- 土佐藩の城下町。万次郎が英学を教えた教授館ゆかりの地
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
幕末
1853年、ペリーの黒船が来航。世界を知る万次郎は幕府にも呼ばれ、直参(将軍直属の家来)となって海外の事情を伝えました。軍艦を動かす学校で英語・航海・測量・造船を教え、英語の教科書『英米対話捷径』も出版。そして1860年、日米の条約のためにアメリカへわたる使節団の護衛艦「咸臨丸」に、通訳のリーダー・航海の支え役として乗りこみ、太平洋をわたりました。同じ船には勝海舟や福沢諭吉もいました。
くやしい思いも
スパイではないかとうたがわれ、ペリーとの交渉の通訳から外されたこともありました。それでも万次郎は、学ぶことと教えることをやめませんでした。
写真:Googleマップ実写真:ペリー公園(久里浜・黒船来航の地)(公開版はGoogleプレイス取得の実写真)
- 所在地
- 神奈川県横須賀市久里浜
- 見どころ
- 黒船が来た海ぞい。ペリー上陸記念碑と資料館がある
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
明治
明治になると、万次郎は新しい政府に招かれ、開成学校(今の東京大学のもと)で英語を教えました。日本じゅうに英語と世界の知識を広める、先生としての大仕事です。1870年にはヨーロッパへ送られ、その帰り道、20年ぶりにアメリカの恩人ホイットフィールド船長と再会をはたしました。
字も読めなかった漁師の子が、日本じゅうに英語を広める先生になりました。学びつづけた万次郎の、いちばんの“出世”かもしれません。
写真:Googleマップ実写真:東京大学・赤門(公開版はGoogleプレイス取得の実写真)
- 所在地
- 東京都文京区本郷
- 見どころ
- 万次郎が教えた開成学校は、今の東京大学につながる
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
万次郎の死後
万次郎が海をこえて運んだ“世界の知識”と“日米の友情”は、その後どうなったのでしょう。ここは絵巻の「むすびの物語」です。
- 1898年 東京で71さいの生涯を閉じました。
- 明治〜 万次郎に学んだ人たちが、日本の英語教育や外交・海運を支えました。
- 今 出身地の土佐清水市とアメリカのフェアヘブンは姉妹都市。万次郎の子孫と船長の子孫は、今も交流を続けています。
一人の漁師の少年がつないだ日本とアメリカの友情は、160年いじょうたった今も続いています。
写真:Googleマップ実写真:ジョン万次郎資料館(公開版はGoogleプレイス取得の実写真)
- 所在地
- 高知県土佐清水市養老
- 見どころ
- 漂流から渡米・帰国までの大冒険を、資料と映像で楽しく学べる
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
万次郎は、耳で聞こえたとおりに英語を書きとめました。じつは今の発音にも近く、ちゃんと通じたそうです。何の英語か、あててみよう!(タップで答え)
🍤 好物はうなぎと甘いもの
うなぎの蒲焼きや甘いものが大好きだったという逸話が残っています。
🤝 とても謙虚
晩年は、こまっている人にそっと施しをしたと伝わります。
🎨 じつは絵が苦手
ことばで説明しにくいものを絵にしようとして、とても苦労したそうです。
🥋 相撲は得意
「アメリカ人は力は強いが相撲は苦手で、2〜3人まとめて投げ飛ばした」と話したという逸話も。
教科書での扱いは小さいジョン万次郎が、2028年の大河ドラマ「ジョン万」の主役にえらばれました。それには、こんなわけがあります。
① 権力争いではなく「冒険と成長」の物語
漂流→無人島→渡米→帰国→日本への貢献。戦や権力争いが中心になりがちな大河の中で、海をこえた冒険と成長のドラマは、とてもめずらしい題材です。
② 2027年は生誕200年・地元の悲願
出身地の高知県土佐清水市は、10年いじょうも「大河ドラマに」と署名活動を続け、「ジョン万すいしん室」もつくりました。2027年の生誕200年と合わせた、まちの願いがかないました。
③ 教科書では小さくても、役割は大きい
鎖国から開国へ向かう日本に「世界の現実」を伝えた開拓者。日本人で初めてアメリカ本土で学んだ一人でもあります。あつかいは小さくても、その役割はとても大きいのです。
④ 今の子どもへのメッセージ
脚本家は「若い人に『挑戦してみよう』と思ってほしい」と語ります。主演は、大河初主演となる山﨑賢人さんです。
「生まれや身分ではなく、
学びと勇気で道をひらいた人」の物語。
万次郎が海をこえて運んだものは、今の日本にもつながっています。代表的なものを四つ見てみましょう。
🗣️ 日本に英語を伝えた
軍艦操練所や土佐藩開成館、開成学校(東大の前身)で英語を教え、教科書も出版。英語学習の先がけです。
🚢 咸臨丸の航海を支えた
通訳のリーダー・航海の支え役として、日本初の公式訪米を成功に近づけました。
🌏 世界の知識を広めた
アメリカの実情や航海術・測量などを各藩や幕府に伝え、坂本龍馬ら多くの人材に影響を与えました。
🤝 日米友好の礎
出身地の土佐清水市と、学んだ町フェアヘブンは姉妹都市。子孫どうしの交流も続いています。
「日本に英語と世界をはこんだ人」。
その種は、今の国際交流や英語教育に実っています。
出典:公式サイト・各種情報源を参照。
- 1827年 土佐・中浜に漁師の子として生まれる
- 1841年 14歳、漁で漂流。無人島・鳥島で143日を生きのび、米捕鯨船ジョン・ハウランド号に救われる
- 1843年〜 アメリカ・フェアヘブンで英語や航海術を学ぶ。ゴールドラッシュで帰国資金をためる
- 1851年 命がけで琉球に上陸して帰国。薩摩・長崎の取り調べを受ける
- 1852年 11年ぶりに土佐へ。藩士に取り立てられ「中浜」姓を授かる
- 1853年 黒船来航。世界を知る万次郎は幕府に招かれ直参に
- 1860年 咸臨丸の通訳・航海役として太平洋を横断(遣米使節)
- 1869年〜 開成学校(東大の前身)などで英語を教える
- 1898年 東京で亡くなる(数え71歳)。日米をつないだ友情は今も続く
漂流から世界一周、そして英語の先生へ。万次郎には“日本人ではじめて”がたくさんあります。
日本人としてはじめてアメリカ本土できちんと学んだ一人であり、英語の教科書『英米対話捷径』を出し、咸臨丸で太平洋をわたるなど、時代の“はじめて”を次々に切りひらきました。教科書での扱いは小さくても、その一歩はとても大きいのです。
万次郎って、どんな人?
漁師の子から、世界を見た冒険者へ。ジョン万次郎(中浜万次郎)は、生まれや身分ではなく、学びと勇気で自分の道をひらき、日本とアメリカをつないだ人でした。続きは、2028年の大河ドラマ「ジョン万」(主演・山﨑賢人)でその目で確かめてみてください。
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