ホーム › 単元べつの解説 › 縄文時代と弥生時代の違い(6年社会「縄文のむらから古墳のくにへ」)
縄文時代と弥生時代の違い
6年社会「縄文のむらから古墳のくにへ」を表と図で
📅 いつ学校で習うか
| 教科書 | 単元名 | ならう時期 |
|---|---|---|
| 東京書籍『新編 新しい社会6』 | 縄文のむらから古墳のくにへ | 6月ごろ |
出典 東京書籍 令和6年度 年間指導計画(標準的な案)。2026年9月21日確認。学校や地域で前後します。
縄文時代と弥生時代の違い(比べる表)
| 縄文時代 | 弥生時代 | |
|---|---|---|
| 食べ物 | 狩り・漁・木の実やどんぐりを集める | 米づくり(水田)。狩りや漁も続けた |
| たくわえ | 少ない。食べ物を求めて動くことも多い | 米を高床の倉庫にたくわえる |
| 土器 | 縄文土器:厚くて黒っぽい。縄目の模様 | 弥生土器:うすくてかたい。赤っぽく模様が少ない |
| 道具 | 石器(矢じり・石おの)、骨角器(つりばり) | 石包丁(稲の穂をかる)、鉄器・青銅器が伝わる |
| 住まい | たて穴住居 | たて穴住居(倉庫は高床) |
| むら | 小さなむら。身分の差はあまりない | 大きなむら。指導者と、貧富・身分の差が生まれる |
| 争い | あまり見られない | 土地や水をめぐって争う。むらを濠とさくで囲む |
| まつり | 土偶(どぐう) | 銅鐸(どうたく)など青銅器 |
| 代表の遺跡 | 三内丸山遺跡(青森県) | 吉野ヶ里遺跡(佐賀県)、登呂遺跡(静岡県) |
縄文人と弥生人の違い
骨の研究から、大陸から米づくりを伝えた人々(渡来系の弥生人)と、もとから住んでいた縄文人は、顔つきや体つきがちがったことが分かっています。
| 縄文人 | 渡来系の弥生人 | |
|---|---|---|
| 顔 | 上下に短く、彫りが深い(目と鼻がはっきり) | 上下に長く(面長)、平たい |
| 背たけ | やや低め | やや高め |
| どこから | もとから日本列島に住んでいた | 大陸から北九州などへ渡ってきた |
2つの人々はまじりあいながら、米づくりとともに各地へ広がりました。今の日本人は、両方の特徴を受けついでいます。「弥生人=みんな面長」ではなく、もとからいた縄文系の人々も弥生時代を生きていた、という点も大事です。
根拠:国立歴史民俗博物館研究報告 第107集(松村博文「渡来系弥生人の拡散と続縄文時代人」)ほか、国立科学博物館の人類研究の解説。
古墳のくにへ(卑弥呼・古墳・大和朝廷)
- 卑弥呼(ひみこ):3世紀ごろ、邪馬台国の女王。30ほどのくにを従えたと、中国の歴史書(「魏志」倭人伝)に書かれています。
- 古墳:王や豪族の大きな墓。かぎ穴の形の前方後円墳が代表で、まわりにはにわを並べました。日本でいちばん大きいのは大阪府堺市の大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)です。
- 大和朝廷(ヤマト王権):奈良盆地を中心とする豪族の連合。かしらを大王(おおきみ)とよび、5〜6世紀には九州から東北南部までの豪族を従えるようになりました。
⚠️ つまずきの正体
1つめ。土器・道具・住まいをばらばらに暗記してしまう。「米づくり→たくわえ→争い→くに」の流れに当てはめると、どれも理由つきで言えます。
2つめ。たて穴住居は縄文だけと思いこむ。弥生時代も人が住むのはたて穴住居で、変わったのは米をしまう高床倉庫ができたことです。
3つめ。遺跡と県がまざる。三内丸山(青森・縄文)、吉野ヶ里(佐賀・弥生)、登呂(静岡・弥生)の3つだけ、地図で場所を指せるようにします。
🏠 家で10分でできること
用意するもの 紙1枚。
紙をたてに半分に折り、左に「縄文」、右に「弥生」と書きます。上の表を見ないで、お子さんに「食べ物・土器・道具・むら・争い」の5つを左右に書いてもらいます。書けなかったところだけ、上の図を見て足します。最後に「なぜ弥生ではむらを濠で囲んだの?」と1問だけ聞いて、「米や土地をとられないため」と言えたら合格です。
✅ テスト前に、この3つを口で言えるか
- 縄文時代と弥生時代のいちばん大きな違いは何か(米づくり)
- 石包丁は何に使ったか(稲の穂をかりとる)
- 卑弥呼が治めたくには何か(邪馬台国)
🎯 中学受験ではこう出ます
土器や道具の写真を見て時代を選ぶ問題、遺跡と都道府県の組み合わせ、「米づくりが始まって社会がどう変わったか」を書かせる記述が定番です。記述は「たくわえ→貧富や身分の差→争い→くに」の4語を入れると点になります。
10問クイズ 縄文と弥生、どっち?
答えを押すと、すぐに正解と説明が出ます。
1. 縄目の模様がある、厚くて黒っぽい土器は?
縄文土器です。弥生土器はうすくてかたく、赤っぽい色をしています。
2. 石包丁を使って稲の穂をかりとったのは?
弥生時代です。米づくりとともに使われるようになりました。
3. 米をたくわえるための高床倉庫があったのは?
弥生時代です。ねずみや湿気から米を守るため、床を高くしました。
4. 三内丸山遺跡(青森県)は、どの時代の遺跡?
縄文時代の大きなむらのあとです。
5. 吉野ヶ里遺跡(佐賀県)で見つかった、むらを囲む濠は何のため?
米や土地をめぐる争いにそなえて、濠とさくでむらを囲みました。
6. 土偶(どぐう)が作られたのは?
縄文時代です。豊かなめぐみや安全をいのったと考えられています。
7. 銅鐸(どうたく)などの青銅器が使われたのは?
弥生時代です。鉄器や青銅器は大陸から伝わりました。
8. 顔が上下に長く、平たい特徴がある人々は?
大陸から渡ってきた弥生人です。縄文人は顔が上下に短く、彫りが深いのが特徴です。
9. 邪馬台国の女王は?
卑弥呼です。聖徳太子はこのあと、飛鳥時代の人物です。
10. かぎ穴の形をした大きな墓を何という?
前方後円墳です。まわりにはにわを並べました。
このあと習うこと:聖徳太子と大化の改新(天皇中心の国づくり)
6月から7月にかけて、教科書は「天皇中心の国づくり」へ進みます。よく調べられている2つだけ、先に答えておきます。
聖徳太子は何をした人?
おばの推古天皇を助けて、天皇を中心とする国づくりを進めた人です(教科書では「聖徳太子(厩戸王)」と書かれることがあります)。
- 冠位十二階(603年):家がらではなく、能力や手がらで役人を取り立てる。
- 十七条の憲法(604年):役人の心がまえを示す。「和を大切にする」で始まる。
- 遣隋使(607年):小野妹子を隋(中国)へ送り、進んだ制度や文化を学ぶ。
- 法隆寺を建て、仏教を広める。
大化の改新とは?わかりやすく
645年、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が、力を強めすぎた蘇我氏をたおして始めた政治の改革です。豪族が持っていた土地と人々を国のものにし、天皇を中心とする国のしくみを作ろうとしました。聖徳太子の目ざした国づくりを、次の人たちが受けついだ、と覚えると順番がまざりません。
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